2014年4月29日火曜日

タクシーストーリー第8話~研修(1)


暗いロッカールームだった。

学科試験を終えた翌日に営業所へ行くと、2階のロッカーへ案内された。

汚いロッカーに手書きで書かれた自分の名前を見つめながら、

俺は本当にここでやって行けるんやろか・・・

という不安を感じた。

ロッカーを始め、営業所の簡単な案内をしてくれたのは、面接で同席していた小太りの男性で、主任の山岸さんという人だった。

山岸さんは見た目40歳くらいで、事務所のスタッフの中では若い方だったが、言葉は全て敬語でとっつきにくかった。

「何か質問はありますか?」

「特に(ありません)・・・。あぁ、あの山岸さんは運転手をされてたんですか?」

事務スタッフの中では、なんとなく「浮いた」感じがしていた。

「うん、ちょうど君くらいの年齢からかな。少しの間運転手をしていたけど・・・」

「何で運転手になったんですか?」

山岸さんは始めて少し笑顔を見せた。

「その質問はここではあまりしない方が良いよ。延々と前職の話をされるか睨まれるかのどちらかだから。私の場合はいろいろあってね。でも運転手になって良かったと思ってるし、今でもいつか運転手に戻りたいと思ってるよ」

それ以上の答えはいらなかった。

山岸さんは続けた。

「今日からここで地理研修や簡単な法令や無線の説明をして、その後タクセン(タクシーセンター)で適正検査と地理試験の流れになります。研修は合わせて約10日間、うまく行けば来週には運転手としてデビュー出来ると思うよ」

地理試験?まだ試験あんのか。

「地理試験て難しいんですか?」

「君大学出てるらしいね」

「はい・・・一応」

「大学でどんな勉強してきたか知らないけど、地理試験では何の役にも立たないと思った方が良いよ。御堂筋は知ってる?」

敬語から徐々に管理者的口調になっていったが、不思議と圧力は感じなかった。

「(御堂筋くらいは)はい、もちろん」

「それじゃ、御堂筋と(国道)2号線が交わる交差点は?」

「梅田新道ですか」

「ほぉ、さすがやね。それじゃ新御堂と2号線の交差点は?」

「え?あの・・・わかりません」

「ははは、ちょっと意地悪な問題やったね。まず新御堂と2号線は交わらない。梅田新道で2号線は終わって、新御堂と交わるのは(国道)1号線やからね。交差点の名前は『梅新東』」

「はぁ・・・」

「君も今までいろんな勉強をしてきたやろけど、ときどき『なんで、こんな勉強せなあかんのやろ?』って考えたことあるやろ。そんなことを全く感じないのが地理試験の勉強や。満点目指してがんばってみ」

「分かりました」

「さあ、ちょっと周辺ドライブしてみよか。明日から同じ新人さんが来るから、その人といっしょに研修することになるけど」

「新人さん」?俺は教習所でいっしょだった女性を思い浮かべた。

「あの・・・その方ってもしかしたら女性ですか?」

「いや、56歳の男性やけど・・・そう言えば、来週女性が入る言うてたね。君と同じときに学科通ったけど、今週用事で来れへんらしいわ。残念ながら」

俺は一人暗いロッカールームに戻った。

2014年4月16日水曜日

タクシーストーリー第7話~学科試験

教習所を出た次の週に学科試験のため地域の試験場へ行った。

試験場へ行くと、先週まで教習所で共に暮らしていた面々がいて、

俺もそれなりに周りとコミュニケーションは取っていたので、

ちょっとした同窓会のような会話を交わした

「あの教官うざかったなぁ」

「一人めっちゃ可愛い娘おったやんなぁ!」

「あの禿げたおっさん、まだ鋭角練習しよったで(笑)」

やはり「おっさん」は目立っていたようだ。

学科試験の合格ラインは90点とはいっても、

○×(2者択一)やし、

落ちることはないやろと思っていた

しかし、週末はテキストを2回通り復習してきた。

それなりに学歴を持ってるプライドもあったし、

ここで勉強しておけば、後々きっと役に立つだろうという優等生的な想いもあったが、

何よりタクシーに乗ると決めたら、

一日でも早く乗りたかった

こんなところで立往生している場合ではない。

試験は50分で105問(後半15問はイラストを見て答える形式で、3問セットで全部合えば2点の配点)

1分で2問以上を解いていかなければならない

適当にどんどん先に進みたいが、合格ラインが比較的高いのでケアレスミスは許されない。

ひっかけ問題もあるが、教習所でもらった問題集を何度かチェックしていたので、

見たことのあるような問題が多かった。

これは満点いけるやろ・・・

と思っていた。

試験が終了して免許証交付の際、試験官が

「みなさん今日はお疲れさまでした。

合格者は順番に免許証をもらって退出してください。

なお、今回の試験は受験者数が157名

満点は1名でした。

・・・なんと女性ですよ(笑)

まあ、騒がず速やかにお願いします。

(会社へ戻って)これからが本番です。

がんばってくださいね」

試験官のコメントは短くクールやったが、

満点が自分でなかったことに少々ショックを受けた。

今回の受験者に女性は4、5名しかいなかったが、俺にはその「満点の女性」が誰かはすぐに分かった。

同じ教習所にいた女性で、名前を確か吉林さんと言い、何度か言葉を交わしたことはあった。

茶髪で若く、なかなかのべっぴんなので教習所でも男たちの視線を一心に浴びていたが、

話をするとかなり「すかして」いたので、

話しかけた男性も(特におっさんたちは)すぐに距離を置いていた。

帰りの階段で、吉林さんを見かけたので声をかけてみた。

「よう、 すごいね。満点やって」

吉林さんは振り返って、俺を見て少し笑みを浮かべた。

このとき初めて「可愛いな」と感じた。

「・・・あぁ、簡単よ。あなた頭良さそうに見えたけど大したことないんやね」

やはり「可愛くない」と感じた。

「最初の方の問題で、

『お客様を乗せて運転中、路上に走行するには危険と判断できる場所があったので、旅客にその事を告げて徐行運転をした』

っていうの、答え何にした?」

「・・・あぁ、危険な場所やから徐行するのは当然やろ。◯にしたけど」

吉林さんは、軽く息を吹いて言った。

「答えは×よ。危険な場所やから、旅客に降車してもらわないとダメ。

でも実際どの程度危険か知らへんけど、客に降りてもらうなんてありえへんやん

試験はあくまでも試験、現場のこと知らん警察の官僚が作ってるお遊びみたいなものよ」

そこ間違えとったか・・・

ショックを隠し、俺は表面上クールを装った。

「そうやんな。試験は試験、本番は本番や。これからやんな」

「本番?・・・何か簡単な試験で間違えた割には前向きやね」

「こんなもん、受かれば良いんよ。何点取ろうと知ったことちゃう。

ところで、どこの会社入るん?」

「阪北交通」

同じ会社やった。

2014年4月3日木曜日

タクシーストーリー⑥~教習所 後編

会社から指定されたのは、自宅から3駅ほどしか離れていない運転教習所だったが、

敢えて合宿を選んだ

合宿費用等も会社で負担してもらえるし(さらに日当1万がつく)、ちょっとした気分転換もあったが、

何よりどんな奴らがこの業界(タクシー業界)に入ってくるのか興味があった

自分が入ろうとしているにも関わらず、どこか他人事のように考えているところがあって、

今思えば、俺もどこかでこの業界に対する偏見(または差別意識)があったのかもしれない。

初日の講習を終えて、宿舎の部屋に入ると、

相部屋の男性が2段ベッドの下に座っていた

頭は禿げ上がり、スウェット上下を着た絵に描いたような「おっさん」で、俺のイメージに怖いくらいマッチしていた。

「・・・こんばんは」

「あっ、あぁ・・・どうも、相部屋の方ですか。よろしくお願いします」

おっさんのかしこまったあいさつは、イメージとは微妙にずれていた。

見た目は父親くらいの年齢に見えたが、20代の俺に対して使われる「敬語」は少々痛々しかった。

「よろしくお願いします」

一応申し訳ない程度に頭を下げた後、俺は用意していた質問をいくつかぶつけてみた。

「・・・あの、タクシーに乗られるんですか」

「えぇ・・・まぁ」

「また、どうして」

お前もタクシー乗るんちゃうんかい、という自問が飛んできた。

「はは・・・こんなこと言うと、笑われるかもしれないけど、実は若い頃からタクシーに乗りたいと思ってたんですよ。

大学出て、就職して数年は企業でシステム関係の部署に入っていたんですが、

なんていうか、ITブームみたいな時代でね、

自分で事業起こしてみようなんていう気になってしまって・・・

そういう時代やったんですよ」

とりあえず、この「禿げたおっさん」が大学を出ていることにびっくりした。

「どちらの企業にお勤めやったんですか?」

「XX電機です」

めっちゃ大手やん。まぁ、そんな気はしたけど。

一応自分もIT関係の仕事をしていたことを話すと、「おっさん」は続けた。

「友人とウェブデザインの会社を立ち上げました。27歳の時でした。

あんな時代でしたから、当初はうまくいきましたよ。

受注をこなすのに精一杯で、新しい引き合いがあるとうんざりしました。

一日中プログラムとにらめっこして、夜になったら新地へ繰り出して取引先と飲み歩きました」

27歳・・・今の俺と同じ歳、

この人は27歳で会社を辞めて起業して、俺はタクシーに乗ろうとしている・・・

「いま・・・おいくつなんですか」

「おっさん」は、この質問が来るのを分かっていたように、禿げ上がった頭を撫でながら爽やかな笑みを浮かべた。

「はは・・・こう見えてもね。まだ35歳なんですよ」

「えっ・・・」

言葉につまった。

あまりビックリしても失礼と思ったが、とにかく言葉が出なかった。

「8年でダメになりました。

いっしょに起業した友人は大手のポータル会社に引き抜かれていきました。

今思えば、数年前から話は出来ていたんですよ。

そこのポータルの仕事が増えて、サイトをアップデートする毎日でした。

取引先の社長は若くて・・・わたしより年下でしたね。

そのうちテレビに出ては、偉そうにITについて吹いていました。

彼は実際何もしてなかったし、ただ学歴ブランド(東大)にメディアが飛びついた感じでした」

あぁ、(最近世間を騒がしている)あの人か。

すぐに分かった。

「おっさん」は続けた。

「そのうち他の仕事を請け負うことが出来ないくらいに忙しくなって、

そのポータル会社の下請けのような形になってしまいました。

忙しいわりに、やりがいがどんどん薄れていって、

楽しいと思っていたウェブデザインの仕事もパターン化された流れ作業のようになっていきました。

そしてある日、わたしの『共同経営者』は他の何人かの従業員と共に引き抜かれ、

仕事は全くなくなりました。

会社に残されたわたしはピエロやったんですよ」

俺は部屋を出て、コンビニへ行って、

両手に持てる限りの酒を買い込んできた。

その夜は・・・いや次の朝まで「おっさん」と飲み明かした

一週間後に俺は卒検を無事通過し、「おっさん」は居残りとなった。

ほとんどの生徒が予定通り卒業していく中で、おっさんは学科は誰よりも優れていたが、

実技がどうにもうまくいかないようだった

鋭角(2種だけの特別関門)と縦列駐車を何度も練習していた。

どうやら彼は居残りが宿命のようだ。

別の会社へ入社予定の「おっさん」と連絡先の交換をして、

俺は教習所を出た。

教習所の前の川沿いに、桜が咲いていた。