2012年1月30日月曜日

白黒ナンバーズ

もう約1週間前になるので、あまり新鮮な話題ではないが・・・

休日に珍しく夜ボーっとテレビを観ていて、

もう寝ようかなー

とテレビを消しかけたときにこの番組が始まった

題名は「怪しい噂の集まる図書館」

スマップの中居君が司会をしていた。

そして、その日(24日)のテーマは、

タクシードライバー編

これは観なくてはと思い、

メモを取りつつ拝見していた(アホやな・・・)

そして番組では、

現役のタクシー運転手の方10名を招いて

タクシーにまつわる噂について、白(ある)か黒(ない)の回答をしてもらい

番組出演の芸人さんが(クリス松村って前もタクシー関係の深夜番組に出てたな)、

何人白が出るか当てるみたいな企画であった

俺は残念ながら、番組に呼ばれなかったので(あれは多分東京N交通さんの運転手やろね)

この番組で紹介された噂について、ここで答えていこう(空しいな・・・)。

①後部座席でHが始まったことありますか?

いかにも深夜番組っぽい質問やね。

ゲストの運転手のほとんどが白を上げてたが・・・

どこまでを「H」とするかはわからないが・・・あるやろね。

②客に男女関係を求められたことありますか?

上と類似(?)の質問

ありませんよ

しかし同僚には「帰庫した後自家用車で迎えに行って・・・」なんて話は聞いたことあるな。

③犯罪者の逃亡に使われたことありますか?

あるわけないやろ・・・て知らずに使われてたかもしれへんけど

ゲストは2名が白上げてたな

④客と大喧嘩したことありますか?

誰でもあるやろ・・・

次行こう

⑤「前の車を追ってくれ」と言われたことありますか?

ないねぇ・・・

ローカルやから、こういう面白い仕事(?)はないわ

ゲストは7人が白、さすが東京!

⑥超有名人を乗せたことありますか?

これは誰でもあるやろ

ゲストは10人が白

俺は一番自慢出来るのは、明石家さんまさんかな。

⑦(月営収)100万円以上稼いだことありますか?

個人的に一番興味あった質問

俺はもちろんありません

ゲストはなんと5人が白!さすが桜・・・

⑧メーターを上げるために最後の一踏みしたことありますか?

これ絶対みんな思ってるよね

そんなことしませんよ

逆(ギリギリでわざと停める)はあるけどね。

番組では10人全員が黒

画面に向かってゲストの運転手みんなと握手したわ

⑨幽霊を乗せたことありますか?

これ番組では結局聞かなかったね。

あまりにもアホらしい質問や思ったんでしょう。

ありますよ

2012年1月29日日曜日

1.26~28(木~土) 129点~メーターを「倒す」と・・・

月末の3連勤

この3日で100点(10万)出来たらいいなぁ・・・

でも1月やし、

まあ無理やろなぁ・・・

なんて思ってたら結果は目標を大きく上回ってしまった。

1月26日(木) 景気60 晴 
営収 32,900(9,740-23,160)
17(9-8)回
13.25(7.50-5.75)時間
MAX 11,750

3連休した後の勤務

しんどかった・・・

世間はよく動いていたが、

取り残されて最終電車も近づいたとき、

見た目50前後の男性乗車

「西宮までどのくらいかかる?」

「どうですかね・・・1万は超えると思いますよ」

「はぁ?じゃあ1万で行って」

「無理です」

「とにかく行って」

みたいな感じで出たが、

メーターが1万近づくと

「おい!1万なるやんか。はよメーター倒さんかい」

「・・・」

「メーター倒せ言うてるやろ!」

「・・・ずっと倒してますけど」

こういう勘違いしてる人意外と多い。

昔はメーターの上についていた、

「空車」の看板を倒して料金請求が始まる

この看板は今も途上国に行けば見れるが(途上国やなくても香港も看板上げてたな)、

請求やめろ言うんなら「メーター起こせ」が正解

どうでもいいけど、とにかくうるさかった。

1月27日(金) 景気50 晴
営収 57,230(14,220-43,010)
23(11-12)回
13.25(6.50-6.75)時間
MAX 25,990

この日も疲れが取れずに、

夜は眠くて何度もくじけそうになったが、

何とか最後までがんばろう

と最後の客

これでやっと終わりや

23回目の乗車は見た目自分と同じくらいの年代(30代後半)

「カタノまで行ってください」

「カタノ??ですか?」

「はい、高速乗って、第二京阪乗って・・・」

「(まさか)大阪の交野市ですか?」

「はい」

うそやろ・・・死ぬで

「現金で(高速料金込みで)3万近くかかりますよ」

「構いませんよ」

・・・少しは文句言っても構いませんよ

いろんな人いるよね

到着すると、

何事もなかったかのように3万円ポンと出してきた

そして客を降ろしたすぐ先の路地で、

1時間ほど爆睡してしまった

1月28日(土) 景気60 晴 日照2.8 高7 低マイナス3
39,780(13,040-26,740)
23(7-16)回
10.75(4.50-6.25)時間
MAX 4,390

3連勤最終日

前日遅かったので、

昼過ぎの出庫

A駅番で、最初は全然動かなかったが、

動き始めたら効率良いねんな、この駅は

休憩も2時間近く(17~19時)取ったにも関わらず、

遠方もなく稼いだ23回

NSI(平常時営業効率指数)はなんと3,700円

ここんとこの営収の良さは景気ではなく、

明らかに構造的なもんやね

遂にタクシーの時代が来たで

この3連勤、とにかく疲れたわ

2012年1月27日金曜日

1.21(土) 33点 22(日) 26点〜キャンドルインザキャブ

もし車のなかでキャンドルを焚いてるタクシーがあったら…

①おしゃれ、乗ってみたい

②不気味、乗りたくない

③危険、警察に通報

答えは、風に吹かれている…

注:走行する際は火を消しているそうです(なんや、その第三者的な表現は?)

アップ出来てなかった先週末の今さら日報

1月21日(土)  景気50 雨
営収 33,730(15,440-18,290)
18(11-7)回
11.50(6.50-5.00)時間
Max 9,910
NSI 2,313

この日は先週続いた三日目の雨

昼間は時には強く降って、乗り込み客も多かった。

夜は雨も弱まったが、

最終に遠方があたって30点クリア

その最後の客、9,910円の料金に一万円札をポンと置いて、

「これでいいです」

「(約100円チップか…)ありがとうございます」

しかしその真新しい万札を胸ポケットに入れようとすると…

2枚ある

急いで、マンションに入りかけた客に声をかける。

「お客さん!!」

「はい?」

「ちょっと多いみたいですけど…」

2枚重なった万札を見せる。

「あっ、あぁ…」

なんとなくその一枚を受け取って、

なんとなく去っていった

なんですか、その微妙なリアクションは?

2枚くれたんですか?本当は(そんなわけないやろ)

教えてください

答えは風に吹かれている・・・

1月22日(日) 景気60 晴
営収 26,390(4,090-22,300)
13(3-10)回
11.25(4.00-7.25)時間
MAX 5,350

久々に晴れた日曜日はA駅番

昼間は気温も上がって、

じっくりとワックスがけ

昼間はさっぱりでどうなることかと思ったが、

夕方からそこそこ仕事があって・・・

世間もよく動いてたみたいやな

しかし日曜勤務はやっぱり嫌やね

2012年1月21日土曜日

1.20(金) くもりときどき雨 33点~ほんまかいな

夕方、M駅から乗車した若者と話していたら、

「今からミスユニバースの取材に行くんですよ」

「えっ!(若く見えるのに)新聞記者なん?」

「はい・・・学生新聞ですけどUNNからFOCUSっていうリンク入ってみてください」

ということで、とりあえず宣伝してみたが、そんな

ほんまかいな

という話の多い日であった。

その後、ある配車先で他社の新人運転手の方といっしょになった。

「Tです、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします」

見た目60くらいの年配の方である。

「去年の原発のあれで仕事がなくなってしまって・・・」

「原発?ですか・・・福島から来られたんですか?」

「いえ、自宅でね、図面書いてたんですよ。火力発電とか、原子力とかの施設のね」

「はぁ・・・」

ほんまかいな。

夜はホテルから、乗車されたお客さん。

「最近こちらに越して来たんですよ。XXの工場で働いてるんですけど」

「あぁ、あの新しく出来た工場ですね」

俺はこういう客を乗せると、

その工場で何を作っているのか、

どのような生産体制なのか、人員(雇用規模)は・・・

さらには競合に対しての強みは何か(お前は何者や)

など仕舞いには嫌がられるくらい聞きまくるのだが、この客は快くいろいろ教えてくれた。

「(会社のこと)いろいろお詳しいんですね」

「一応わたし、そこの代表取締役やらせてもらってます」

ほんまかいな

駅で同僚の運転手と話していたら、

「そういえば、この前乗り逃げされそうになってな」

「乗り逃げ?」

若い頃は阪神タイガースの入団テストを受けに行ったこともあるという、

まだ40代の体躯の良い運転手である。

よりによって、この人相手にやるか?・・・

「コンビニに金おろし行く言うてな、コンビニ入らんと違う方歩いていくやんか。おかしいな、思って車降りたら走り出すやん」

「・・・まじすか」

「500メートルくらい大声出して追いかけてな、捕まえて押さえつけてな、何とか金取れたわ。9,990円」

「・・・10円釣り返したんですか」

ほんまかいな

1月20日(金) 景気50 くもりときどき雨 雨0 日照0 高8 低4
営収 33,540(13,630-19,910)
22(9-13)回
12.50(6.75-5.75)時間
MAX 2,710

今日は気温高いな

夜もそれほど寒くない

いつもと同じパターンで前半検討するも、

30点に届かずに終わりそうになったが、

最後の最後にJRの依頼仕事で30突破

締め日やし、

良かったー

2012年1月20日金曜日

1.19(木) 雨 29点~ダイナモ


6日ぶり、久々の乗務は雨・・・

右手に皇潤の広告が・・・(なんや?)

今日は昼間からそこそこ動いていたのだが、

突然車に異変を感じてピットイン

整備のFさんのところへ

「なんかスモール(ランプ)とバッテリーの警告ランプが同時に点滅してたんすけど」

「あぁ、そらあかんわ。ダイナモや。すぐここ(整備工場)入れて」

「あぁ、ダイナモですか。やっぱりね」

「そうダイナモ、これ(この車)なんぼ走っとる?」

「先週27万(キロ)でオイル交換したとこですわ」

「そうか、大体20~30万であかんくなるからな。ちょうど交換時期やな」

「ぼくもそろそろかなと思ってたんですよ。ダイナモ」

「これほっといたら怖いで。下手したら夜中突然止まってしまうこともあるからな」

「あぁ・・・ダイナモですからね」

「夜中に大阪のど真ん中で止まってみ。悲惨やで」

「あぁ・・・ところでダイナモって何なんですか?」

発電機だそうです。

営業車直してもらってる間に、自家用車のオイルとフィルタも交換

1月19日(木) 景気50 雨21.0(13~) 日照0 高6 低0
営収 29,750(13,780-15,970)
20(9-11)回
11.25(6.25-5.00)時間
MAX 3,190

夜が伸びない、最近のパターンやなぁ・・・

それにしても今日は30は堅いと思ったのに

悔しいが

1月の中旬に何もあたりなしでこのスコア

かつては考えられなかったな。

2012年1月14日土曜日

大晦日のワンメーター⑤~完結編 「扉」

バックナンバー
大晦日のワンメーター①
大晦日のワンメーター②
大晦日のワンメーター③
大晦日のワンメーター④

そのときである。

駅舎からスーツを着た一人の若者が現れた

年の頃は20代も後半くらいだろうか。

何か今どきの売れっ子俳優のように、色白で顔が小さく、そしてうまく説明できないのだが・・・賢そうに見えた。

わたしは、わたしの車の横につけていた若い運転手に言った。

「お客さんやないの。乗せて帰り」

見ると若い運転手は

ただ前を見据え、

わたしの言葉など耳に入っていないようであった。

もう一度言った。

「あの人タクシー乗りたいんやないの。行っておいで」

「えっ?はい、あの・・・承知しました」

「たのむわ」

若い運転手はゆっくりと車を前に出して、

スーツの若者の横につけ、ドアを開けた。

あの若い運転手の名前はなんと言っただろうか。

吉田君やったな

この小さな町にはタクシー会社は2つしかない。

吉田君はわたしとは別の、この町のもう一つのタクシー会社の乗務員であった。

彼がこの町の運転手仲間になったのは、4~5年前だろうか。

普段このS駅には入ることもなく、

大晦日にだけここに来る

それほど親しくもないし、

年齢もわたしたちとは少し離れているので、

大晦日にこの駅に来ても、彼だけは輪に入ってくることはない。

一人自分の車にこもり、

スマホなるものをいじっている。

髪を金色に染め、

そして「家政婦のミタ」のように決して笑わなかった。

名前は思い出せないが、ワールドカップに出ていたサッカー選手に似ている。

この4,5年、他の運転手仲間が姿を消しても、

最後までわたしの後ろに残っているのはいつも吉田君だった。

前方では客らしき若者が、

ドアを開けた吉田君のタクシーに顔を半分突っ込んで何やら話し込んでいる

しかし若者はなかなかタクシーに乗らない

トラブルやろか・・・

心配し始めた頃に吉田君のタクシーのドアが閉まる

結局若者は乗らなかった

値段交渉決裂か・・・

吉田君の車が黄色いランプをつけてバックしてくる。

「なんかこっちの『予約車』に乗りたいみたいですわ。お願いしていいですか?」

「え・・・いや・・・どうしようか」

「それはあなたが決めることです」

予期していなかった申し出にわたしは戸惑った。

20年である

このときわたしは、

もう(他の客を乗せても)いいかな

という気持ちと、

20年も待ったんだからこだわり続けたい

という2つの気持ちを行き来していた。

前方を見ると、

若者がこちらをじっと見つめ、深く頭を下げた

わたしは直感的に言った。

「ええよ、そんなら俺が行くわ」

車を前に出して、スーツの若者の横につける。

「どうぞ」

ドアを開けると、若者は緊張した面持ちで、

「どうもすみません。雪谷までお願いします」

雪谷・・・

「わ、わかりました」

車を走らせた。

少しの間沈黙が続く。

ラジオではフィナーレが近づく紅白歌合戦が流れている。

若者が口を開いた。

「やっぱり紅白聴いてるんですね」

やっぱり?

「あ、あぁ、NHK聴くことが多いね。あんまり意識してないけど、ABCラジオの阪神トーク聴いててもおもろないしね」

「なぜ乗せてくれたんですか?」

「え?・・・」

「予約車のうわさ聞きました」

「そうか、知ってたんやね。もう20年やからね・・・何度か酔っ払いに絡まれたこともあるし、実際絡まれても仕方ないねんな。こんな田舎で、大晦日のこんな時間に予約車なんてあるわけないし、『乗車拒否や』って文句言われても仕方ないしな。なんかきっかけ探してたようなところはあったねん」

「きっかけ?」

「うん、もう来るわけないやろってな。それであんたが・・・どんな理由か知らんけど、わたしのタクシーに乗りたいと言って来た。あんたの目を見て、20年を捨てるにはふさわしい男や思ったわけや。ハハ」

タクシーは北山の交差点に差し掛かった。メーターは「810(円)」を表示していた。

「もしぼくが、運転手さんが待っていた、20年前の客だとしたら」

「えっ?」

「このあたりまで450円、ワンメーターで来てくれたんですよね。あのときはもちろん、そういうことわからなかったんですけど」

「・・・」

わたしはハザードを点けて、一度路肩に寄って車を停めた。

少しの間また沈黙があった

わたしはまた何も言わずに車を走らせた。

ルームミラーを見る

これが、あのときの・・・

「吉田健二と言います。あのときは本当にありがとうございました」

「・・・」

わたしはまだ声が出なかった。

少し息が苦しくなった。

「母親は、あの翌年、最後に家まで送っていただいた次の年に病気で亡くなりました」

「・・・お父さんは?」

「父はわたしが小さいとき、このタクシーの乗せてもらうより何年か前です。わたしはほとんど覚えていませんが、事業に失敗して、母の貯めていたなけなしの金を持ってどこかに消えてしまったそうです」

「それで3人で」

「そうです。母が亡くなったあとは身寄りもなく、わたしたち兄弟は施設に預けられました。わたしはまだ小さかったのでそれほど、なんて言うか・・・なかったんですが、兄はもう中学生でしたからいろいろつらいところもあったんだと思います」

「君は(あのときの)弟さんやね。お兄さんは今どうしてるの?」

「兄は施設の悪い連中といっしょに行動することが多くなりました。中学を卒業したとき、『仕事のあてが出来た』と言って、連中と施設を出て行きました。それ以来連絡が取れていませんでした」

「・・・そうか。君は?」

「わたしは施設で中学まで出してもらって、その後は工場なんかで夜間の仕事をもらいながら大検を受けて、通信制の大学を3年前に卒業しました。今は会計士を目指して勉強しています」

「会計士か、すごいね」

「いえ、今年も落ちました。なかなか難しいですよ」

「あの頃は『タクシー運転手になりたい』なんて言ってたのにね。ハハハ」

そんな話をしているうちに目的地が近づいてきた。

雪谷の、かつて家族が住んでいた長屋はもうとっくの昔になくなって、今はちょっとした公園になっている。

「前に家があった場所に行けばいいかな?」

「はい、今は公園になっているらしいですね」

若者との会話があまりにも衝撃的だったので、わたしは後ろにすっと車が一台つけて来ていることに気づかなかった。

やがて車は公園についた。

小さな公園には2つ付きのぶらんこが1対あるだけで、外灯が2つだけ寂しく点されていた。

「こんな時間にこんなところで何するの?」

「別に何をするわけでもないんですが、母親の墓もありませんし・・・この場所に来たかっただけです」

「帰りも送るよ。料金はいらないから」

「そんな、とんでもありません。とりあえずここでいいです」

メーターは、「1,930(円)」になっていた。

若者は2千円を出すと、

「おつりはいりませんから」

「・・・あぁ、ありがとう。本当にここでいいの?」

「はい」

ドアを開けると、

突然そこから声がした。

「運転手さんに70円のチップは失礼やろ」

びっくりして見ると、ドアを開けた横にもう一人の若者が立っていた。

金髪の吉田君だった

ルームミラーを見ると、吉田君の会社の緑の行灯のタクシーが見えた。

「兄です」

後部座席に座っている弟、吉田健二君が言った。

またドアの外から声がする。

「吉田光夫です。あのときは本当にありがとうございました」

「え・・・あの・・・」

弟が話し始めた。

「わたしたち兄弟も約20年ぶりです。施設で別れてから、いろんな手段で兄を探したのですが見つかりませんでした。そして最近になってフェイスブックで兄の名前を検索したら、ヒットしたんです。偽名を使ってアクセスしたら、この町でタクシーに乗っていることを知りました」

兄が話した。

「大晦日にあの駅で待ってたら、いつか弟が来ると思ったんです。それでいつも後につけさせてもらいました。黙っていて申しわけありません。始めてお会いしたときは本当に嬉しかったです」

弟は車を降りた。

わたしも、車を降りて2人の方へ歩いていった。

外の空気はかなり冷たかった。

「ずっと待ってたよ。大きくなったな」

わたしが言うと、兄が答えた。

「ありがとうございます。わたしは乗務中も時間があるとよくこの公園に来ていました」

兄は歩いて、公園の低いフェンスをまたいで入っていった。

「ちょうどこの辺りに、家に入る扉があったんですよ。もうボロボロで、風が吹いたら飛んでいきそうな扉でしたけど」

兄は何もない公園で、扉を開く動作をした。

「ここに母がいたんです。何もない空間でしたけど、風が入って冬はものすごく寒かったんですけど、なんか暖かかったんです。母が亡くなって、今までいくつも扉を開けたけど、あの暖かさはなかった。特別な扉だったんです」

弟が言った。

「大晦日に電車に乗って買い物に行くのが楽しみでした。たこ焼き買ってもらって、お菓子も買ってもらって、駅からはタクシーに乗って・・・一年に一度の贅沢だったんです。あの家の暖かさと同じくらい、このタクシーは暖かかったんです」

少しの間話をすると、2人は改めてわたしに礼を言って、兄のタクシーに乗り込んだ。

わたしもタクシーに戻った。

「寒・・・このどこが『暖かい』んやろ」

わたしはタクシーのヒーターをかなり弱めにしているので、よく客から「寒い」と文句を言われる。

しかし長い間この仕事を続けてきて、多くの人たちを、

それぞれの特別な「扉」へとつなぐこの仕事に誇りを感じていた

吉田兄弟が、いや彼らの「家族」が、そのことを改めてわたしに認識させてくれた。

今年も、また胸をはって仕事をしよう

ラジオの行く年来る年が2012年の始まったことを告げた。

ルームミラーを見ると、緑の行灯の車内で兄弟が話している。

笑顔が見えた

わたしは前を向いて、車を走らせた。

彼らがいつか新しい「扉」に出会えることを願って。

1.13(金) くもりのち晴 29点~セレブレーション

時計を見て、

「あっ、13日の金曜日終わった・・・」

と思った瞬間、

FMココロで流れたのがこの曲やった



フー!フー!

13日の金曜が終わったセレブレーション

とばかり、シャウトして踊りながら運転していたが・・・(見てる人いるからやめろ)

1月13日(金) 景気50 くもりのち晴 日照5.8 高9 低マイナス3
営収 29,600(11,260-18,340)
20(10-10)回
11.75(6.50-5.25)時間
MAX 4,390

悔しい結果に終わった・・・

金曜日に30を切ったのはいつ以来やろ

と調べたら、

9月2日以来4ヶ月ぶり(この日は台風が来てたみたいやな)

こんな日は事故がなかったことに感謝するしかない。

今回4勤務の結果

10日(火) 47,240 15回 14.00時間
11日(水) 18,390 13回 11.00時間
12日(木) 26,480 13回 11.25時間
13日(金) 29,600 20回 11.75時間

合計 121,710(平均30,428 15.25回 12.00時間)

2012年1月13日金曜日

1.12(木) くもり 26点~13日の金曜日

昼前は車のオイル交換(27万キロ)したり、

タイヤのチェックしたりして

昼頃に出庫

スタートが遅れた割にコツコツと作っていたのだが、

気づいたのは夕方頃やった

「明日は・・・13日の金曜日か」

俺は昔から13日の金曜日が大嫌いである

「今日は木曜日(12日)、関係ない」

邪念を振り払う。

気にしたらあかん

そして、そんなことは忘れていた夜のこと

夜もまあまあ好調で、

これは30点(3万)は堅いな

と皮算用していた24時をちょっと過ぎた頃

「XXまで行って」

まあまあの遠方(8~9千円)である。

いい時間にいい仕事があたった 

と思いきや、

途中N駅前で事故渋滞

しかもこれがほんの数台前で起きた事故

全く動かない

待つこと30分

後部で寝ていた客も起きた

「兄ちゃん、どないなっとんねん!」

「少し前で事故みたいですね」

「どないしてくれるのや!」

「いや・・・どないもこないも」

「電話するわ、どこにしたらいい?」

「どこにって・・・警察ですか」

「わかった・・・『もしもし、どないなっとんねん?はぁ?タクシーの運転手が警察に電話せぇゆうたからな』」

「いえ、ぼくはそんなこと・・・」

「はぁ!?」

「言いました・・・続けてください」


一番動く時間に、なんでこんなことに・・・

この客が乗ったのは

・・・24時過ぎ

時計の日付を見ると、

13日の金曜日

昨年5月以来か、今年は3回もある・・・(1,4,7の筋)

1月12日(木) 景気50 くもり 日照4.3 高5 低マイナス3
26,480(11,360-15,120)
13(7-6)回
11.25(6.50-4.75)時間
MAX 9,190リンク

悔しいなぁ

しかし、13日の金曜日

車が2台絡んで横転していたすごい事故やった

車の中にいた人は生きてるやろか

というくらいの

ほんの数台前で・・・

逆に考えたら幸運やったのかも


2012年1月12日木曜日

1.11(水) 晴のちくもり 18点~10点台

午前中にジョギングしたときは、

こんなに晴れ渡っていたのに 

夜には雪がちらついてきた。

「運転手さん、この辺は寒いね・・・」

「今日は少し寒いですね。おそらくマイナス5度くらいは下がってるはずです」

「えー!そんなに寒いの?」

「このくらい普通ですよ。雪が降ると暖かく感じますね」

今調べたら、

マイナス1度

なんか自分の手柄のように寒さを自慢する大げさな運転手に注意しろ!

1月11日(水) 景気40 晴のちくもり一時雪 日照4.7 高9 低マイナス2
営収 18,390(9,610-8,780)
13(7-6)回
11.00(6.00-5.00)時間
MAX 2,710

ついにやってしまった・・・

10点台

何気に前回の10点台を調べたら

10月12日(水)

3ヵ月ぶりか・・・

記録が途切れたというより、

まあここまでよくがんばったな

という感じ。

この仕事、

がんばって悪ければ仕方ない

という考え方と、ある意味さぼるのは自由なので

どうせ悪いんなら出来るだけさぼっとこう

という2つの考え方を行き来しているのである。

2012年1月10日火曜日

1.10(火) 晴 47点〜えべっさん

2連休明けとは言え、

朝5時台に目が覚めてしまい

今日は10日・・・これはきっと、

えべっさんが呼んでるんや

と思い、

寝ている5歳の息子を無理やり起こして、

西宮まで行ってきた

さすがに一番福レースには間に合わなかったが、

今年の福男を拝むことが出来た

福知山の学生さんで、

名前は「福田さん」

福だらけ、出来すぎや・・・

しかしなんか、うまく言えないが、輝いてたな。

タクシー乗ってるとよくわかるけど、

ほんまに「福」持ってる奴っている

そして「福」って、炎みたいなもんで

近くにいると、燃え移る

消えたと思っても、くすぶってる

眩しくて、熱い

福田さん、ほんまにおめでとう…幸せになってください(なんやねんお前)

1月10日(火) 景気40 晴 日照7.2 高10 低マイナス4
営収 47,240(30,850-16,390)
15(8-7)回
14.00(9.00-6.00)時間
MAX 19,750

えべっさんの効果おそるべし・・・

駅に入って、いきなり大阪の仕事があたり、

夕方もよく動いたなぁ

夜は駅1台やったし、快適に仕事できた(お前暗いな)。

しかし、最後はちょっと遠慮してしまったな。

少し悔いが残る終わり方やった。

2012年1月9日月曜日

大晦日のワンメーター④~まだ続くことになりました(汗)

その次の年の大晦日、

その母子は現れなかった

わたしは例年のように駅に最後まで残り、

大晦日の数少ない終電の利用者が駅から姿を消し、

駅に静寂が訪れ

そして駅舎の電気が消されてもまだ駅に残っていた

ラジオの紅白歌合戦では、大トリの北島三郎が歌い終わり、

行く年来る年が新年の訪れを伝えた

わたしは何度が車外に出ては、身体を伸ばし

そして静かに駅を離れた。

何となく予感はあったが、

一年間待ち続けていた客に会えなかったショックは今も鮮明に覚えている

そして、その頃また

後にバブルと呼ばれた時代も終わった

その次の年も、また次の年も、母子は現れなかった。

しかし、

それでもわたしは毎年大晦日に出勤して、

そして必ず終電まで待ち、

終電では、サインを「予約車」にして待った

これはある意味乗車拒否なのかもしれないが、

わたしはいくら頼まれても他の客を乗せず、

駅の灯りが消えるまでそこに残ったのである。


・・・そしてあのときから20年の時が流れた

わたしは変わらず、大晦日の駅に残っていたが、

変わったのは、

わたしの他にも残っているタクシーが数台あったことである

大晦日のわたしの行動は、何年か経つと地域でも有名になり

「さすがに乗車拒否はあかんやろ」

なんて言いながら、

実は最後のおいしい客を回してもらえることを知っているドライバーたちがわたしと一緒に残り、

大晦日の夜に(外は寒いので)わたしの「予約車」の中に乗り込んでコーヒーを飲むのが恒例行事となっていた。

「今年こそ現れるかいな」

「そんなもん来るわけないやろ、その子どもたちやってもう立派な社会人やろ。この辺にはおらへんわ」

そんな会話を交わしながら、終電が入ってくると各自自分の車に戻った。

これは仲間内の暗黙のルールで、大晦日の終電では例え駅でどんな順番になっていても、

わたしの車を先頭に回す

ということになっていた。

そして、「その客」が現れたときだけわたしの車に乗せ、

それ以外は「予約車」として、後ろの車にまわってもらうのである。

そしてもちろん、

そんな客が現れるわけがないのは誰もがわかっていた

終電で若い女性客が1人わたしの後ろの車に乗り込み、

そして駅の人気もなくなった頃。

「それじゃ、そろそろ帰りますわ。良いお年を!」

最後までわたしの後にいた、あの頃のわたしと同じくらいの若い運転手がこすりそうなくらい近くに車をすり寄せ、ウインドウを開けて言った。

「あぁ・・・どうも、良いおと・・・」

そのときである。

駅舎からスーツを着た一人の若者が現れた。

-続く-

2012年1月6日金曜日

1.5(木) 23点 6日(金) 31点 7日(土) 31点~年明け5連勤

客から何故か野菜をもらった…

都市部ではあり得ないチップやろう。

1月5日(木) 景気50 晴 高5 低マイナス5
営収 23,330(11,210-12,120)
14(7-7)回
10.00(4.75-5.25)時間
MAX 5,190
NSI 18,360(1,933-1.37)

前日に比べて車は多かったが、

夜はそこそこ動いた

しかし当たりがないな…

年明け30、24、23とじり貧や…

6日は勝負かけよ

1月6日(金) 景気50 晴 高9 低マイナス3
営収 31,510(18,270-13,240)
19(10-9)回
12.25(7.50-4.75)時間
MAX 4,550
NSI 31,510(2,572-1.55)

朝から素晴らしい天気

この日は気合入れて、

早め(10時)の点呼を受け

午前中は絶好調、午後も粘って、

前半戦は素晴らしい成績(18点)

これは40を睨んだ闘いになると臨んだ

後半戦は惨敗(13点)・・・

結局勝負は後半なんやね

悔しい12年初の「フライデートライアル」やった。

1月7日(土) 景気40 晴 高6 低マイナス1
営収 31,270(10,530-20,740)
13(6-7)回
12.25(6.50-5.75)時間
MAX 10,950
NSI 20,840/10.75(1,939-1.12)

年明け5連勤最終日

いつの間にか風邪気味・・・

今年の風邪はしんどくないが、のどに来る

昼間は善戦しているのに、

夜のあたりなく苦しんでいる今回のシリーズ

この日も昼間世間が超デッドな中で、

単価良く稼いで

課題の夜の部

24時半頃にH駅への無線配車

これが最後の仕事になるかも・・・

「どこか近くのホテルまでお願いします」

普通なら「はい、わかりました」と受けるところだが、

この日の俺は違った。

「ホテルですか・・・ここからだと、一番近いところでも(タクシー料金)3千円以上はかかりますよ」

「・・・そうですか」

おそらく電車の乗り過ごしやろう。

「ご自宅はどちらなんですか?」

「XXです」

「はぁ・・・それでしたら、近道使えば、タクシーで帰っても1万円少しで家まで行けますよ。この辺の安いホテルでも一泊7~8千円しますからね。タクシー料金と(明日の朝の)電車代も合わせたら泊まる方が高くつきますよ」

「そうですか・・・そうですね。じゃあ(家まで)お願いします」

通常はこういう交渉はしないのだが、(タクシーの方が安いのは)事実やし、勝負かけた。

きっとお客さんも喜んでくれたやろ(たまにはホテルでゆっくりしたかったかもしれへんで)。

5連勤成績

3日(火) 30,450 19回 12.75時間
4日(水) 24,900 17回 10.25時間
5日(木) 23,330 14日 10.00時間
6日(金) 31,510 19回 12.25時間
7日(土) 31,270 13回 12.25時間

合計 141,460(平均28,292 16.4回 11.50時間)

大晦日のワンメーター③~新年特別タクシードラマ

そして3年目の大晦日は非番だった。

しかし、わたしはまたあの母子が現れるような気がして、

休日出勤の希望を出した

大晦日に休日出勤を希望するような運転手は全国見渡してもわたしくらいではなかっただろうか。

そしてまた例年のように、

わたしは終電まで一人駅に残った

そして例年と違ったのは、

終電で、他の乗車客がいたことである。

「すみませーん、電車乗り過ごしてしまって・・・T駅まで行ってもらえますか」

T駅と言えば、5千円は超える仕事である。

「申しわけありません。予約車なんですよ」

「大晦日のこんな時間に予約ですか?」

「世の中変わった人がいるんですよ。ちょっと歩いたところにビジネスホテルがありますから・・・今日は空いてるはずです」

5千円の仕事を断って、ワンメーターの、しかも来るかどうかもわからない客を待っていたのだから、わたしもどうかしていたのだろう。

しかし果たして、その客は現れた。

暗い色のチェックの上着を来た婦人が、二人の息子を連れて駅舎から現れたのは、大晦日も23時をまわった時間、いつもと変わらない時間だった。

「あの・・・北山までですけど・・・よろしいですか?」

お待ちしてました。

「どうぞ」

実はこの年、運賃改定で初乗りは450円から520円に値上げされていた。

メーターを押すと、「520」の表示に、

「・・・520円ですか」

「昨年も大晦日に乗っていただきましたよね?」

「えっ・・・覚えてらっしゃるんですか?」

「その前の年も大晦日にわたしの車に乗っていただきました。料金はいつもと同じ(450円)で構いませんよ、差額はわたしが負担しますから」

「そんな・・・」

「その代わりと言ってはなんですが、今年はご自宅まで送らせてもらえませんか」

「そんな!とんでもありません」

「これはわたしの一年の最後の仕事になります。お客様を家まで送るのがわたしの仕事です。最後までやりきりたいだけです。わたしの我がままだと思ってください」

ここまで言うと、今年も変わらない古い半コートを来た婦人は観念したように自宅の場所を教えてくれた。

しばらくすると後部座席で、学生服を着た中学生らしき息子が母親に話し始めた。

「俺覚えてるで、この運転手さん」

「・・・そうかい」

「良かったな。今年は凍えながら歩かなくていいから」

「・・・そうね」

「実はお母さんには内緒にしてたんやけど、先月小学校で健二(弟)の参観会があってな、はがき見せたら母さん仕事休んでも行くやろ思って、母さんに黙って俺が代わりに参観会行ったねん」

「・・・あんた」

「健二の作文が市で表彰されたらしくてな、こいつがその作文をクラスみんなの前で読んだんやけどな」

「へぇー!どんな作文やったん?」

「『大晦日のタクシー』って題やねん。俺すぐこのタクシーの話やって気づいて、なんて恥ずかしいこと書くんやって思ったんやけどな、こんな感じやねん。

『ぼくは毎年大晦日にS駅からタクシーに乗って家まで帰ります。

いえ、本当は家までではなくて、ずっと手前の北山の交差点まで乗ります。

タクシーなんて乗るのは、そのときだけで、すごく嬉しくなります。

タクシーの中は暖かくて、駅から近くまでしか乗らないのに、運転手さんは

(ありがとうございました!)

って気持ちよく言ってくれます。

ぼくも大人になったら、お金持ちになれなくていいので、あんな暖かいタクシーの運転手になりたいです』

・・・俺聞いてたら涙が出てきてな」

わたしは運転席で泣いていた。

涙で前方が見えなくなったので、ハンカチを出して拭いた。

「あの・・・この辺でよろしいでしょうか?」

「あ・・・はい、あのどん突き(突きあたり)の家です」

母子の家は、時代に取り残されたような長屋だった。

その隣は病院の裏のお医者さんの自宅らしく、お城のような豪邸が建っていた。

神様はなんて不公平なんやろ・・・

風が吹いたら、倒れてしまいそうな建物の前で婦人は何度も頭を下げた。

「ありがとうございます。どうもありがとうございます」

「ありがとうございます!良いお年を」

-続く-

2012年1月5日木曜日

1.4(水) くもり一時雪 24点〜路面凍結

世間は仕事始めの正月4日

今年は3が日も動きが悪かったらしいが(3が日は例年動くとか)、

4日からはデッドな状況になるのが通例である

しかしそんなことは、数年やっていればみんな知っていることで

この日は車がめちゃめちゃ少なかった。

しかし・・・

1月4日(水) 景気40 くもり一時雪 高6 低マイナス3
営収 24,900(12,050-12,850)
17(7-10)回
10.25(6.25-4.00)時間
Max 4,550

昼間から雪が降って、

夜は路面凍結…(2、3台後で事故もあったしな)

こんな日は迎えの自家用車が減って

動くはずなのだが…

あかんかったなぁ

大晦日のワンメーター②~新年特別ドラマ

「あの・・・450円(ワンメーター)で行けますか?」

「・・・えー・・・行けると思います」

指定された交差点(北山)まではワンメーターぎりぎりの距離であった。

わたしはこの貧しいなりをした親子はきっと

神さまが自分を試すために現れた

と思わずにはいられなかった。

タクシードライバーとして、いや人として、

彼らにわたしがどのような対応を取るのか、

きっと見ているのだろう。

「どうぞ、乗ってください」

「近くですみません」

「北山のあたりにお住まいなんですか?」

「いえ・・・家は雪谷なんですが・・・」

北山からは約1キロほど先の場所である。

きっとそこから歩いて帰るつもりなのだろう。

後部では母子の話す声が聞こえる。

「タクシー乗れて良かったね」

「タクシーってぬくいな」

そうこうするうちに目的地の交差点に着いた。

「この辺でよろしいですか?」

「はい、あの・・・ありがとうございます」

「450円です」

料金をもらうと、ドアを開けずに

「実はわたしもこれが今日は最後の仕事で、この先の営業所まで帰るんですが、良かったら途中までお送りしましょうか?」

「いえ・・・そんな・・・」

「ほんの数百メートルです、遠慮しないでください。内緒ですけどね」

そして、そこから数百メートル走った先で車を停め、ドアを開けた。

婦人は何度も頭を下げ、お礼を繰り返した。

「どうもありがとうございます、ありがとうございます」

「こちらこそありがとうございます。良いお年を」

ドアを閉めると、角を左折して、

少し走ったところでまた左折して

わたしは反対方向の営業所へ帰った。

それがその年の大晦日のことであった。

そして一年が過ぎ、また大晦日を迎えた

その年も同じようにわたしは大晦日に出勤して、

同じように仲間たちを一人、また一人と送っていった。

「帰って紅白ですか?」

「せやな、他に見るもんもないからな」

「まだプロレスもやってませんしね」

「・・・プロレス?」

「紅白、長渕がたぶん3曲唄いますよ」

「・・・そんなわけないやろ」

そんな他愛もない会話を交わしながら、

最後のあいさつは自然と笑顔になるような年だった。

「良いお年を」

「良いお年を!」

そして、その年もわたしは終電をたった一台で迎え、

その年も終電の乗車客なく

帰ろうとしたそのとき・・・

駅舎からチェックの半コートを来た婦人と、息子が二人

まさに前年のVTRを観ているように現れた。

変わったところと言えば、息子の一人は中学にあがったのか学生服を着ていたことくらいだろうか。

「あの・・・北山までですけど・・・よろしいですか?」

「はい、どうぞ!」

そして、その前の年と同じように目的地から少し走ったところまで送って、

3人と別れた。

「どうもありがとうございます!良いお年を」

-続く-

2012年1月4日水曜日

1.3(火) くもり 30点〜新年初乗務

ついに我が車にもETCが…

1月3日(火) 景気50 くもり 高5 低マイナス2
営収 30,450(19,240-11,210)
19(12-7)回
12.75(7.00-5.75)時間
Max 3,670

新年の発情夢…字が違った(だから消せ)

初乗務はA番

昼過ぎに入って、

無線は全くなかったものの

車がなかったので、

晩飯休憩取らずにがんばった

乗車19回は上出来

夜は暇を持て余して、ブログでしょうもない創作をしていたら、

「ワンメーター」ミス押ししてしまった…

続き書こ

大晦日のワンメーター①~新年特別タクシードラマ

もう20年以上前の大晦日のことだった。

巷はバブル景気に湧き、

タクシーも例外ではなかった

わたしはS駅という地方の駅で待機営業していたが、こんな田舎の駅でも12月ともなれば夜は食事をする間もないほどに忙しかった。

それでもさすがに大晦日ともなれば客足も止まり、

紅白歌合戦が始まる時間にもなると駅に並ぶ仲間の運転手たちも早めにあがっていく。

「お疲れさん!」

「どうもお疲れさんです!」

運転手同志、一年の労をねぎらう言葉もその年の景気を写すように自然と明るくなる。

「帰って紅白でも観るわ」

「今年はSMAPが出るらしいですね」

「すまっぷ?なんやそれ?」

「光ゲンジのバックダンサーですよ」

「…なんやそれ?」

そんな他愛もない会話を交わしながら、

一人また一人と年に最後の別れを告げて家路についていく。

「良いお年を!」

「良いお年を」

わたしは駅で働く運転手の中では最も若かったのと、

最後まで駅を守りたい

という気持ちから、もうタクシーに乗る客は少なかったが駅に残った。

年に最後の仕事を終え、

または友人や同僚と最後の酒を交わし、

何かをやりきったような客の笑顔を見るのが好きだったし、

そんな人達が、例え一人でも家に帰る足がないようなことは許されないと思ったからである。

そして23時の終電(田舎の終電は早い)を迎える頃には、

乗り場に残ったタクシーはわたしだけになっていた

終電が駅にはいる

こんな田舎の駅でも、終電ともなればタクシー乗り場に列が出来ることがあるのだが、

大晦日、年に最後にこの駅に停まった電車から降りてきた客はまばらで、

その数少ない人達も、駅に迎えに来ている数台の車に乗り込んでいった。

そして電車が駅を離れると、

静寂が辺りを包んだ

わたしはタクシーから降りて、少し満足げに身体を伸ばした。

今年も終わりか…

ふぅー

と吐いた息が暗闇の中で白く光る。

「さむ…雪でも降りそうやな」

一人つぶやくと、そそくさと車に乗り込み、車庫に帰ろうとしたその時だった。

もう誰もいないと思っていた駅舎から人影が現れた。

よく見ると、それは

中年の婦人と、小学生らしき男の子二人だった

おそらく母親とその息子だろう

チェックの半コートを着た夫人は、ゆっくりと迷ったように

わたしのタクシーに近づいてきた

古びたトレーニングジャージを着た息子たちは心配そうに母親について来る。

近くまで来ると、タクシーの外に出ていたわたしに婦人が白い息を吐きながら言った

「あの・・・北山の交差点までですけど・・・いいですか?」

北山の交差点と言えば、駅からちょうどワンメーターの距離である。

行き先が近いから遠慮しているのだろう。

「構いませんよ、どうぞ」

「あの・・・450円で行けますか?」

450円は当事のワンメーターの料金であった。

「・・・えー・・・行けると思います」

-続く-